2023年(令和5年) 3月 法話




親鸞聖人の宗教 1、他力本願 

今年は、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)御誕生(ごたんじょう)850年・立教(りっきょう)開宗(かいしゅう)800年の節目の年です。3月29日から5月21日まで西本願寺にて大法要が勤まります。改めて親鸞聖人を讃仰させていただきたく、3回(3月、4月、5月)にわたって稲垣瑞剱先生の「親鸞聖人の宗教」を掲載いたします。御熟読ください。

親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)の宗教(しゅうきょう)  稲垣(いながき) 瑞剱(ずいけん)

哲学者にしても、宗教家にしても、絶世の偉人といわれる人を知ることは、容易の業ではありません。お釈迦様にしましても、キリストに致しましても、その思想と信仰を知って、それが自分の日常生活の血となり、肉となるまで研究することは、実に一生涯の大事業であります。

 わが祖、親鸞聖人またその種(しゅ)のお方であります。人生の悩みを悩み抜いて、病める胸を抱えて、親鸞聖人のみ教えの下(もと)に跪(ひざまず)く人は、真(しん)に親鸞聖人の温かい涙を通して、如来の大慈悲心に触れ、そこに人生の苦悶(くもん)は煙の如く消え、永遠の真(しん)生命(せいめい)を克(か)ち得て、復活の思いがあるのでありましょう。
 しかしながら、さらに進んで、聖人の、あの痛烈なる自己反省と、深刻なる罪悪感のうちに、如来の光明に抱かれて「ああ、慶(よろこ)ばしき哉(かな)」と、人生の凱歌(がいか)を挙げられるに至ったその思想の大系と、教義の泉(みなもと)を遡(さかのぼ)って、これを探るということになりますと、それはなかなか容易な事ではありません。仰げばいよいよ高く、切ればいよいよ固(かた)しとは、実にわが祖、親鸞聖人の思想と大信心の世界であります。

 今日世間でよく使われている言葉に「他力(たりき)本願(ほんがん)」というのがあります。時々世間の人は、「それは他力本願だね」「他力本願では駄目だ」「自分でやらなきゃ駄目だ」とか言って、まるで「他力本願」ということが自分で努力しないで、遊んで手をこまねいていて、そして甘いことがまるで棚からぼた餅のように降って来るのを待ち望んでおる意味に解しておるようでありますが、これは大きな間違いであります。

親鸞聖人は、藤原家のおん生まれでありまして、四つの御歳に父と別れ、八つの御歳に母と別れられ、

 
明日(あす)ありと おもうこころの あだ桜(ざくら)
  夜半(よわ)にあらしの 吹(ふ)かぬものかは


と、一首の歌を詠(えい)ぜられまして、それから比叡山(ひえいざん)に登り、満20ヶ年の間、苦しい御修行をあそばされたのであります。
 その間、心の平安と光明とを見出すべく、あるいは奈良に出て、あるいは聖徳太子の御廟(ごびょう)に参詣し、あるいは京都六角堂へ、毎日きらら坂を下りて百日の参籠(さんろう)をせられたのでありました。その後、法(ほう)然(ねん)聖人(しょうにん)の門に入られ、懇篤(こんとく)なるみ教えによって、初めて他力(たりき)易(い)行(ぎょう)の真(しん)精神(せいしん)を体得せられ、ここに初めて万劫(まんごう)の渇(かわ)きをいやし、人生の最大事を解決せられたのであります。

 親鸞聖人は、申します通り、辛苦艱難(しんくかんなん)幾十年の後、如来大悲の御恩(ごおん)を感じ、慶びの涙を流され、人生は苦は苦ながらに光明の天地に出られたのであります。
 聖人は、その後といえども、決して今日の人々が誤解しておるような「他力本願」を当てにして安逸(あんいつ)に暮らすことが出来ようとも、また安逸に暮らそうとも思われなかったのであります。たとい大信心に入られましてもこの世にあるうちは、人生は苦であります。「人生は苦なり」と知りつつ、努力と忍耐によりて、強く、正しく、生活しようと決心せられたのでありました。
 聖人といたしましては、如来の光明によって、如来の大慈悲心と、罪深きあさましき自己とを発見されました。自己の発見は同時に如来の発見であります。この発見こそ真生命の発見でありまして、安心立命(あんしんりつめい)の大安住境(だいあんじゅうきょう)なのであります。これが取りも直さず親鸞聖人の大信心であり、信心の生活であります。

聖人の信心の生活は、すなわち報恩の生活であります。聖人は『和讃』に、
「如来(にょらい)大悲(だいひ)の恩德(おんとく)は 身(み)を粉(こ)にしても報(ほう)ずべし
 師(し)主(しゅ)知識(ちしき)の恩德(おんどく)も ほねをくだきても謝(しゃ)すべし」

と詠まれました。まことに聖人の御一生は、苦しい悲惨(ひさん)な人生苦を経験しつつ、
「慶(よろこ)ばしい哉(かな)、大悲(だいひ)の願船(がんせん)に乗(じょう)じて、光明(こうみょう)の広海(こうかい)に浮(うか)びぬれば、至德(しとく)の風(かぜ)静(しず)かにして、衆禍(しゅか)の波転(なみてん)ず。」

と、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の「行の巻」において述べておられます如く、人生の凱歌を挙げ、救われたよろこびを述べつつ歩まれた報恩謝德のご一生であります。
また、聖人は「正信偈」をお作り遊ばされまして
「我(われ)もまた かの摂取(せっしゅ)の中(なか)に在(あ)り、煩悩(ぼんのう)に眼(まなこ)障(さ)えられて見(み)たてまつらずといえども、大悲(だいひ)倦(ものう)きこと無(な)くて常(つね)に我(われ)を照(て)らしたまふ」と詠われております。

 この慶びと報恩の精神とは、精進努力の源(みなもと)であり、真生命の力でありまして、怒涛(どとう)逆巻(さかま)く人生の苦海も、嵜嶇(きく)羊腸(ようちょう)たる人生の険路(けんろ)も、立派に押し切ってゆくことが出来るのであります。真に他力本願に蘇(よみが)えられた聖人のご一生の歴史は、如実にこれを証明しておるのであります。聖人には片時も安逸(あんいつ)遊惰(ゆうだ)の生活はなかったのであります。
「勿体(もったい)なや、祖師(そし)は紙(かみ)衣(こ)の九十年(くじゅうねん)」
と、句佛(くぶつ)上人が詠まれましたが、まことにその通りであります。

また聖人が彼の日野左エ門(ひのざえもん)に一夜の宿を断られて、門前において雪の降る夜に、石を枕としてお休みになったご苦労を想いうかべて、赤松(あかまつ)連城(れんじょう)師は、今日のわれらも大いに奮励(ふんれい)努力(どりょく)しなければならぬといったこころを、
「石(いし)を枕(まくら) 雪(ゆき)をしとねの いにしえを しのぶこの身(み)は うづみ火(び)のもと」
と詠われたのであります。

 聖人の流れを汲むものは、もちろん、宗派の如何を論ぜず仏教徒たるものは、弘法大師(こうぼうだいし)、法然(ほうねん)聖人(しょうにん)、道元(どうげん)禅師(ぜんじ)、日蓮(にちれん)上人(しょうにん)、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)、蓮如(れんにょ)上人(しょうにん)などの、祖師方の御苦労を偲んで、奮起一番、道のために、仏法のために、人類平和のために、大いに努力しなければならないと思います。

 親鸞聖人は、また『和讃』に、
「たとい大千世界(だいせんせかい)に みてらん火(ひ)をもすぎゆきて
 佛(ぶつ)の御名(みな)をきくひとは ながく不退(ふたい)にかなふなり」


と、仰せられ、善導(ぜんどう)大師(だいし)は、
「人生(じんせい)精進(しょうじん)せざるは、たとへば樹(き)に根(ね)無(な)きがごとし。」

と言われました。そこで私は親鸞聖人の宗教は、正しい信心を得るためには努力しなけらばいけない。報恩の上からは更に奮励しなければならない。すなわち、聖人の宗教は、努力の宗教であると申し上げたいのであります。つまり「他力」とは、遊んでいてもよい、という意味ではなくて、聖人は『教行信証』において、
「他力(たりき)とは如来(にょらい)の本願力(ほんがんりき)なり。」と仰せられました。

 如来の本願力、すなわち如来の大慈悲心を感得し、如来の智慧の不可思議(ふかしぎ)功徳(くどく)を仰いで、真に心の平和を与えられることを「他力」というのであります。
 私も何十年という永い間、心の平安を見出すために苦しみ、もがいたのでありましたが、心に真の平和なく、信仰なくして、どうして一身の平和、一家の平和、世界人類の平和をもち来たすことが出来ましょうか。正しき真の信仰は、心の平和であり、慶びであり、感謝であり、報恩行としての努力であります。

 ややもすると、世間の人は、念仏はお爺さん、お婆さんの信ずる宗教で、どことなく陰気で、暗い影がさしておるという人がありますが、如来の大慈悲心に蘇えった生活ほど、朗らかで、楽しい、慶ばしい生活はありません。
『歎異抄』をお読みになった方は、『教行信証』を拝読せられて、聖人の雄大なる自然の、力強き思想と大文字に接せられることを切望いたします。力と慶びと生命とを青年諸氏は必ずや見出されるでありましょう。
「世(よ)の無常(むじょう) さとりつくして 春(はる)彼岸(ひがん)」であります。

嵜嶇(きく):世渡りの厳しく困難なさま。

羊腸(ようちょう):羊の腸のように、山道がいく重にもくねり曲がっているさま。




                ピンクの梅



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