2021年(令和3年) 1月 法話
迎 春
つみふかく 如来(にょらい)をたのむ みになれば
法(のり)のちからに 西(にし)へこそゆけ
1月は、13日が稲垣瑞剱先生のご命日(昭和56年寂)、そして16日が宗祖・親鸞聖人のご命日(弘長2年1263年寂)です。
はじめのうたは、蓮如上人の『御文章』4帖目4通にあるもので、瑞剱先生のご遺言でもあります。
蓮如上人はこのうたについて「うたは、入正定聚(にゅうしょうじょうじゅ)の益(やく)、必至滅度(ひっしめつど)のこころをよみはんべりぬ」と説明されています。
これは、阿弥陀如来の四十八願の中の第十一願「必至滅度の願」について詠まれたものです。
親鸞聖人は第十一願のこころを
「真実(しんじつ)信心(しんじん)うるひとは すなわち定聚(じょうじゅ)のかずにいる
不退(ふたい)のくらいにいりぬれば かならず滅度(めつど)にいたらしむ」
と、和讃されています。
真実の信心を得た人というのは、「必ず助け、救う」という阿弥陀さまの言葉を聞いた人のことです。
その瞬間に、正定聚不退の数に入ります。必ず仏になる人々の仲間に入るのです。
浄土真宗の本質は、死ぬ前に仏になることが定まるということです。往生はこの世で定まるのです(第一次往生)。仏になるのは死ぬときです(第二次往生)。(臨終(りんじゅう)一念(いちねん)の夕(ゆう)べ大般(だいはつ)涅槃(ねはん)を超(ちょう)証(しょう)す。)
この肉体がある限り、煩悩の凡夫ですからどれだけ信心を得た人でも仏ではありません。けれども肉体が終わるだけで仏に必ずなる約束が現生で定まっているということが大事なことなのです。
真実信心の人は死ぬだけで仏ですから何の心配もいりません。一番心配しなければならない大事なことは、信心が定まるということで、死ぬことではありません。
阿弥陀さまの「必ず助け、救う」という誓願を受け入れるということにもっと真剣でなければなりません。
「信心定まるとき往生また定まるなり。」と、親鸞聖人は教えて下さいます。
そして、真実の信心を得た人は、正定聚に代表される十種のご利益をいただいていくことを明らかにされました。
現生(げんしょう)十種(じゅっしゅ)の益(やく)
1、 冥衆護持(みょうしゅうごじ)の益(やく):目に見えない方々から護られる。
2、 至徳具足(しとくぐそく)の益(やく):この上もなく尊い功徳(南無阿弥陀仏)が身にそなわる
3、 転悪成善(てんなくじょうぜん)の益(やく):罪悪を転じて念仏の善と一味となる
4、 諸仏護念(しょぶつごねん)の益(やく):十方の諸仏方に護られる
5、 諸仏称讃(しょぶつしょうさん)の益(やく):諸仏にほめたたえられる
6、 心光照護(しんこうしょうご)の益(やく):阿弥陀如来の光明につつまれて、つねに護られる
7、 心多歓喜(しんたかんぎ)の益(やく):心が真のよろこびに満たされる
8、 知恩報徳(ちおんほうとく)の益(やく):如来のご恩を知らされ、報謝の生活をする
9、 常行大悲(じょうぎょうだいひ)の益(やく):如来の大悲(往相(おうそう)・還相(げんそう)二種の回向)を人に伝えることができる
10、入正定聚(にゅうしょうじょうじゅ)の益(やく):やがて仏になると定まった正定聚の位に入る