平成27年 12月 法話

 胎教 ・ 摂取光中 弥陀のふところ 


「胎児は見ている」という本の中で、興味深い事例が紹介されているそうです。

その一つは、生まれた赤ちゃんがお母さんのおっぱいを飲もうとしないそうです。
なぜだろう?なぜだろう?といろいろ調べ、お話を聞いていくと分かったことがありました。
それは、お母さんがその子を産みたくなかったということです。いやいや仕方なく生んだということです。
自分をよく思っていないお母さんに対して、赤ちゃんなりに必死に抵抗していたのでしょうね。
試しに別の人のおっぱいをあげてみたところ、夢中になって飲んだそうです。

もう一つは、赤ちゃんが宿ったことをとっても喜んだ、お父さんとお母さんが、その喜びを作曲したそうです。
そして、毎日おなかの赤ちゃんに聞かせて無事に生まれてくれることを念じていたそうです。
無事出産もすみ、健やかに成長していったある時、その子供が弾いているピアノの音を聞いていると、教えてもいないのに何とその曲は、自分たちがその子が宿ったことを喜んで作った曲だったそうです。

この二つの事例からも分かるように、いかにおなかの中にいる時が大事かということです。
胎教とはおなかの中の赤ちゃんに話しかけたり、音楽を聞かせたりして赤ちゃんとコミュニケーションをとることです。
また未発達の赤ちゃんの脳の発達を促すといった効果もあるとされ、感情豊かな赤ちゃんに育ってほしいという思いも込められています。楽しみながら積極的に赤ちゃんに話しかけてみて下さい。

具体的には、①話しかける。
おなかの赤ちゃんに手をあてたりして話しかけます。話しかける内容はどんな事でも構いません。ゆっくりとやさしい感じで『おはよ~』『お母さんですよ~』『産まれたらたくさん遊ぼうね~』など、楽しみながら積極的に赤ちゃんに話しかけてみて下さい。

②音楽を聞かせる。
心地よいと感じる音楽は、おなかの赤ちゃんも心地よいと感じています。ゆっくりとしたクラシック音楽や童謡などの音楽、また「お経」を聞かせる(お仏壇にお参りして、お勤めする声をおなかの中の赤ちゃんに聞かせる)こともとても良い仏縁が育まれていきます。

③絵本を読み聞かせる。
絵本の読み聞かせは、お母さんの声が心地よく聞こえるだけでなく、読んでいるお母さんも『面白い』『楽しい』と感じる事で、おなかの赤ちゃんにもその感情が伝わります。仏典童話などもおすすめです。

④心地よい環境をつくる。
仏さまの優しいお顔の写真や、美しい大自然の写真を壁などにかけて、心安らかに過ごせる環境をつくる。




         摂取光中 弥陀のふところ      瑞劔



  淨教寺 ご本尊 阿弥陀如来


仏教では、年齢の数え方は「満年齢」ではなく「数え歳」で計算していきます。お腹に宿った時が0歳、生まれた時が1歳という考え方をします。お腹にいる十月十日(とつきとうか)を命のある状態と大切にみていくありかたです。

親鸞聖人のご和讃(浄土和讃)に

 子の母をおもふがごとくにて  衆生(しゅじょう)仏(ぶつ)を憶(おく)すれば

       現前(げんぜん)当来(とうらい)とほからず  如来を拝見うたがはず

と、あります。

(意味)「阿弥陀如来は、 衆生を一人子のように思ってくださる。 その阿弥陀さまのお慈悲が衆生に受け容れられ、 子どもが母を思うように、 衆生が仏の本願を信じ、 お念仏申すとき、 現在目の前で、 あるいは将来浄土に往生して、 遠からず如来を観得することは疑いない。」

阿弥陀さまは、母親が我が子を常に心配するように、この私に、南無阿弥陀仏(お前の親はここに居るよ。心配するな。)と呼び続けて下さっておられます。

私は阿弥陀さまの一人子であった。
「摂取光中(せっしゅこうちゅう) 弥陀(みだ)のふところ」常に阿弥陀さまにいだかれている私であったと知らされた時、無意識の安堵感、安心感の中で「ありがとうございます。」という感情が「南無阿弥陀仏」とこぼれ落ちてくるのです。

「ああ、こんなにも大切に母親から思われ、いだかれ、心配をかけていたのだな。」と、ふと、なつかしさの中に思わず「お母さん」と、無意識に呼んでいる。そんな感情が、「南無阿弥陀仏」をあじわう手がかりになるのではないでしょうか。
だから、私が母親を「お母さん」と呼ぶように、阿弥陀さまを「南無阿弥陀仏」とお念仏申すその呼び声の中に見い出し、阿弥陀さまに出会わせていただいている世界があるのです。

「お母ちゃん」「お母さん」「ママ」「おかあちゃま」・・・母親の呼び方はいろいろあります。でも、それは子どもが決めたものではありません。「母親」が呼び掛けてくれたおかげです。子どもが熱を出した時、「お母ちゃんはここにいるよ。」と呼びかけ、「お母さんがついているから大丈夫だよ。」と呼びかけてくれた。 だから、子どももその時の言葉で「母親」を呼ぶのでしょう。

 「南無阿弥陀仏」も同じです。阿弥陀さまからの呼びかけの言葉(名のり)であり、私たちの「母親(阿弥陀さま)」を呼ぶ声なのです。
瑞劔先生のおうたに
「摂取光中 弥陀のふところ」というものがあります。
「心配するな、心配するな、大悲の親はここにおるぞ。つねに見護っておるぞ。」と抱(いだ)いてくださっておることに今まで気づかなかったことへの慚愧と、「よくぞ今まで呼びづめに呼び続けてくださったことよ」との感謝の思いが込められている尊いおうたです。