平成27年 6月 法話

*秋の法要日程:10月17日(土)18日(日) 


淨教寺本堂平成の大修復工事に際しましては、みなさまからこころあたたまるご懇念をお運びいただきまして、改めまして衷心より厚く御礼申し上げます。
この本堂・鐘楼工事の完成記念法要を平成27年(2015年)10月17日(土)・18日(日)の2日間にて執り行うことと決定いたしましたのでご報告申し上げます。

10月17日(土)の概要
淨教寺本堂平成大修復工事落成慶讃(らくせいきょうさん)法要

西本願寺・大谷光真前門様ご親修(しんしゅう)による法要です。またとないご勝縁ですので今からご予定いただきぜひご参詣下さい。
前門様直々による帰敬式(ききょうしき)・(おかみそり)の儀式も予定いたしておりますので、この機会にぜひ法名をお受けいただきますようお勧めいたします。また、前門様からのご親教(しんきょう)(ご法話)がございます。

10月18日(日)の概要
報恩講法要・親鸞聖人750回大遠忌(だいおんき)法要

例年の親鸞聖人のご恩を偲ぶ報恩講法要を午前中にお勤めいたします。午後からは、稚児行列を計画しています。お稚児さんを先頭に関係者、法中の方々による散華の中、三条通りを練り歩いて淨教寺へ到着する予定です。そして50年に一度の大法要「親鸞聖人750回大遠忌法要」をお勤めいたします。
午前・午後と清岡隆文先生から親鸞聖人讃仰のご法話を予定致しております。



       男の子 稚児衣装


        女の子 稚児衣装




この世に生まれ出たことを喜ぶべし   稲垣瑞剱先生

「開経(かいきょう)の偈」(礼讃文(らいさんもん))に曰く、

人身(にんじん)受けがたし、いますでに受く。仏法聞きがたし、いますでに聞く。この身今生(こんじょう)に向って度(ど)せずんば、さらにいずれの生(しょう)に向ってかこの身を度せん。大衆(だいしゅ)もろともに、至心(ししん)に三宝(さんぼう)(仏と法と僧)に帰依したてまつるべし

と。中国のある名僧は、この句を「座右の銘」として書斎の壁にはって、朝夕これを見て勉強せられ、えらい人となられたということである。「生きがい」のある人生とは、自分が人間としてこの世に生まれ出たことを喜ぶのが「生きがい」を感ずる根本である。
上ばかり見て居ったら、金持ちや大臣や自分よりもずっと幸福に暮らしておると見える人が眼について、自分は「つまらぬ」と思い、不平不満で暮らさなくてはならぬ。物質的満足も、もとより幸福の一要素であるが、いくらお金が沢山できて、世間からも「えらい人だ」といわれたところで、自分自身が毎日不平不満で暮らしておったら、それは幸福な人ということはできない。幸福の根本原理は、自分が人と生まれたことをよろこび、健康で働かしてもらっていることをよろこび、その上に仏法を聞かしていただいていることをよろこぶのが、幸福である。またこの三ヶ条をつねに心に思い浮かべて暮らす人生は、「生きがい」のあるじんせいである。

上ばかり見て下を見ない人は、人生において「生きがい」を感ずることができぬ。
牛や、豚や、鶏を見るがよい。彼等も動物である。生きたいに違いない、命が惜しいに違いない。それだのに、ようよう大きくなったと思うた時分に、殺されて人に食われねばならぬ。このことを思えば、人間に生まれて来たことをよろこばずにおられない。また他の動物に生まれたら仏法が聞かれぬ。仏法を聞く動物は人間だけである。仏法を聞くことができる身であることをよろこばねばならぬ。その上に、今日まで命があって、健康で働かしてもらっていることをよろこばねばならぬ。仏法をよろこべば、如何なる境遇にいても、よろこび、楽しむことができるが、仏法のない人は、いかなる人も気の毒な人である。どんな境遇にあっても、よろこんで、満足して、自分は幸福な者だと感じておる人が幸福で、また「生きがい」のある人である。

仏法を 聞けばおのずと 冥加よろこび 冥見を はじて衣食に 足ることを知る

源信(げんしん)和尚(かしょう)がお造りになった『横川法語(よかわほうご)』というのがある。その初めに

まづ三悪道(さんまくどう)をはなれて人間に生るること、おおきなるよろこびなり。身はいやしくとも畜生(ちくしょう)におとらんや。家はまずしくとも餓鬼(がき)にまさるべし。心におもうことかなわずとも地獄(じごく)の苦にくらぶべからず。世の住み憂(う)きはいとふたよりなり。このゆゑに人間に生まれたることをよろこぶべし。信心あさけれども本願ふかきゆゑに、たのめばかならず往生す。

ともうされている。この御文はありがたい。「このゆゑに人間に生まれたることをよろこぶべし」の句を、つねに念頭に止めておくがよい。  
「法雷」五月号より