2009年 3月 法話

前々坊守 島田 千代さまを偲ぶ 

龍華院釋順昭法尼 13回忌  
(平成21年 3月21日 午後2時 本堂)

明治44年2月11日 淨教寺に生を受く。 
昭和4年3月 奈良女子高等師範学校 保母科卒。
昭和4年6月1日 父 淨教寺第23世住職 急逝。 
同年  寺を継ぐ。(18歳)  
平成9年 3月4日寂。享年87歳。


*母との日々  前住職 島田 和麿
以前ある方から、母へのお手紙を頂戴いたしました。
「 龍華院さま
  “いつでも来るんやで とのおよびごえ”
このお言葉はいつも脳裏におさめ、いつもお側にいて下さる思いです。
私にも二十年の歳月(夫と死別)が過ぎましたが龍華院様のおこころのこもったお言葉を頂いたお蔭と感謝いたしております。     -中・後略― 」
今でも沢山の人々が母の思い出を語って下さいます。
優しい母でした。厳しく指導もしてくれました。
私が得度してからは、袈裟をかけますと、格別に尊重して下さっていました。母から拝まれている感じでした。なにより、み教えを学ぶこと、聞法することを中心とした87年の生涯でした。


*母との思いで  前坊守 島田 孝子
前々坊守の母とは37年間一緒でした。むらさきの着物がよく似合っていましたがもんぺも好きで働き者の母でした。朝のおつとめは母が一番でお正信偈をあげる高らかな声が聞こえてきます・・・・。
それが淨教寺の一日のはじまりでした。つねにみ仏をを念じ聞法中心の生活でした。むつかしい英文歎異抄セミナーにも積極的に参加していました。うたが好きでコーラスの練習ではソプラノの部を歌っていました。いつも明るく、やさしく私達をつつみこんで下さいました。でもどこか威厳をそなえていた母でした。なつかしく慕わしく思い出しています。


*祖母のぬくもり 坊守 島田 順子
目を閉じると浮かんできます。
おばあちゃんのあたたかい大きな手とやさしい笑顔が。
「なまんだぶ なまんだぶ・・・・」お念仏の声が。
月日が過ぎても 心の中に生き生きとよみがえります。
本堂でおつとめする時、お念仏申す時、懐かしい歌を口ずさむ時、
おばあちゃんはとなりにいて、微笑んでくださっています。 


* 室生 音楽の森 ふれあい館 を訪ねて 
この度、コーラスを再開することになり、ご指導いただく荒井敦子先生が館長を務める、宇陀市室生区上笠間にある「音楽の森ふれあい館」を訪ねました。村の方々の手作りの早いお昼ごはんをいただき、11時からコンサートのスタートです。最初はスタッフのピアニスト大山理保さん、福家明世さんの演奏、村尾 藍さんのうたで始まりです。卒業シーズンということで「出会いと別れ」をテーマに選曲されて
いました。「Everything」「翼が今」「贈る言葉」と続いて松任谷由美(荒井由美)さんの「卒業写真」を荒井敦子先生が歌われました。絶妙なトークを交えて、歌の心を、歌の力を、素晴らしさをユーモアたっぷりに、時には手話も交えて全身で語り、歌って下さった1時間半でした。
 ぜひ、淨教寺でもこの感動を共に体感していただきたいと思います。
(毎月第4水曜日午後1時30分から3時30分)
   第1回目4月22日(水)


  音楽の森コンサートの時に感動した歌と詩を紹介します。

明日咲くつぼみに
       作詞 永 六輔

思い出の ふるさと
思い出の 人々
明日咲くつぼみよ
今日散る花びらよ

思い出の 笑顔よ
思い出の 涙よ
昨日 今日 明日
過去 現在 未来

時は還(かえ)らず 世は移りゆく
いつか別れの言葉 さようなら

思い出の あの町
思い出の あの人
明日咲くつぼみに


祝婚歌   2人の記念日に  吉野 弘

ふたりが睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいてるほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだとうそぶいているほうがいい
ふたりのうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったり
ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
ふたりにはわかるものであってほしい