2007年 1月 今月の法話



* 謹んで新春のお慶びを申し上げます

ああ、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)  瑞剱 

仏祖の大いなるみ恵みに心から感謝いたします。
門信徒のみなさまには格別の御協力と御参加をたまわり厚く御礼申し上げます。
すがすがしい朝、元旦は新しい年月のとびらを開き、
いまからはじまる、ときめき、のぞみと夢が胸一杯にひろがってまいります。
みなさまと「正信偈」を唱和させていただくよろこび。
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
(無量寿如来に帰命し 不可思議光に南無したてまつる)
親鸞聖人のこのよろこびのうた百二十句は、この最初の二句に全てがこめられてあります。

かぎりなき 大そらの慈悲  (無量寿如来)
かぎりなき 大うみの智慧  (不可思議光)
われ安し つみもさわりも あるがままにて

と、瑞劔師はうたわれました。
仏祖御照覧のもと、いのちの全てを阿弥陀如来に委ねつくされました。そこに安心(あんじん)と人生の解決があります。ひたすら阿弥陀如来さまの方から「汝をつねにまもっておるぞ、心配するな、落としはせぬぞ!必ず救う!」と、よびづめによんで下されているのです。それが南無阿弥陀仏の仏のみ名であります。
元旦に仏前に詣でる。何というしあわせでしょうか!



平成18年12月20日 定例法座 住職挨拶から

 浄土真宗は聞法ひとすじ。聞かしていただかないとなかなか、肌から筋肉、筋肉から骨髄に入らないものです。この伝統は750年間続いているわけでございます。聖道門では僧侶だけの仏教でありましたが、浄土真宗の門信徒はともに聞法の道を歩んでまいります。
 
 その聞法、仏法によりまして価値観が変わってきます。人生観が変わります。ガラッと変わります。今まではこの世のこと、この世の名誉あるいは人間関係、この世の財産、政治、経済また教育、これが大事だと、その中だけで生きてきましたけれども、それは生きる糧ですから方法としては重要なことでありますけれども、実はそれはチョッと預かっているだけのことでございます。

 聖徳太子は「世間虚仮(せけんこけ)」というお言葉で申されました。本当の真実は無いぞ、全ては移り変わっていくものである、その移り変わっていくものにだけうつつを抜かしておってむなしく人生を終わってはいかん、これが釈尊の尊いみ教えです。
「世間虚仮 唯仏是真」。いままでは娑婆のこと、人のこと、人の言葉、いろいろ気にしておりましたけど、如来さまが知っていてくださる。本当に誠実に生きていても、いろいろな思い違いで批判を受けたり浴びせられたり、悪口を言われたりすることがあろうかと思いますが、それは世の習いです。如来さまが知っていてくださる。そういう世界が恵まれてまいります。

 親鸞聖人はその聖徳太子のお言葉を「よろずのこと、みなもって、そらごと、たわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とのお言葉で残していてくださいます。ひたすら真実とは何かということを、いのちをかけて90年間求められて全身にその喜びを得られまして、浄土真宗を開いていただきました。親鸞聖人は、誰でもその世界を味わうことが出来るという在家の道を教えていただきました。日本でも最高の宗教家です。

 仏さまのお慈悲を頂戴した上には、「あぁ!これを聞くために人間に生まれてきた」と、人生の目的というものをしっかり持って生きていく世界です。どんな国の人でも親鸞聖人に遇われたら感動されます。人類的宗教です。
 
 浄土真宗を聞かせていただくと価値観が変わる。この世のことが全てではなく、この世のことは仮のことであり、本当は真実を求めていくことである。こういうことで私たちは大きく改造されていくのです。
 それと同時に、私は今まで善人であり、賢く、良い人間である、と思って生きてきたけれども、それは大それたことで、本当の愚か者であり、また生活の全ては自分を中心にして、自分の欲望、名誉欲、物質欲を中心にして考える非常におそろしい心をもった罪深いものであった、ということに気づかされます。そして、「私は恥ずかしいものである。」ということを教えられ、全て「おかげさま」という世界が与えられるのです。本当の人間としての高い理想、そしてそこへ行けるという理想が実現できる。そして人間として慎みをもって、如来さまのお慈悲の中に居るよろこびをかみしめ、かみしめ、生きさせてもらう。これが一番の幸せです。他に心の底からのよろこびの世界は無かろうと思います。